素人の映画感想ブログ

古い映画から最新作まで自分が見た映画の感想を書いていきます。

【第一回】「探検隊の栄光」あらすじ、感想

どうも、こんにちは。

第一回は探検隊の栄光(2015年)です。

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主演は藤原竜也、監督は山本透。

私はあんまり知らないんですが、アンフェアシリーズにスタッフとして関わってらっしゃる方みたいです。

原作は荒木源(小学館)で、錦戸亮主演の「ちょんまげぷりん」の原作者さんです。


あらすじ

落ち目の俳優が、新境地を開拓するべく、テレビ番組で味覚に強くて生物を探す”探検隊”の隊長に就任!

個性豊かな隊員達やバカバカしいバラエティのお約束、さらには現地で遭遇した”本物のゲリラ”に翻弄されながらも、やがて大の大人が真剣にひとつのことに取り込む意義とやりがいに気づき、新しい世界を発見していく。

笑いと衝撃、そしてちょっぴり感動の探検コメディ。

(公式サイトより)


以下、ネタバレ含みます。

ご注意ください。



まず私は、川口浩あるいは藤岡弘探検隊のような真面目なドキュメンタリーなのかなと思っていました。

いえ、映画内の彼らは本気でそういった番組を作ろうと努力するわけですが、映画を見る我々にはそれを皮肉にしたギャグとして見せているというか、ある種のメタ的作品なのかなと思います。

実際、先の番組を強く意識した作りになっています。

撮影スタッフはそれぞれ個性的。

藤原竜也演じる杉崎正雄は「真面目に探検しているという体でバラエティ的な探検隊長を演じる」という役者の設定。

あらすじでは落ち目の俳優と言われてますが、一応作中で「情熱探偵」というドラマで人気になったとのこと。

ただ、そのドラマの役の熱血なイメージが付きすぎてしまって本人は苦悩している様子。

なので、オファーされた熱血系の役を断っていて最近あまり仕事をしていないので世間で落ち目と言われているのでは?と私は解釈しました。

序盤はユースケ・サンタマリア演じるプロデューサーに「ドーン!ってかんじでやって」とか「グーン!バーン!ね」とかやたら擬音で注文を受けて困っていましたが、途中からは熱意を持って本気で探検隊にのめり込んでいきます。

ある意味、演技ではない”素の熱血”を杉崎が初めて出せたのがこの探検隊だったんじゃないかなと思います。

小澤征悦演じるディレクターは「〜しながらお願いね」とやたら言い、プロデューサーとバラエティ特有のおバカなことをしていきます。

彼らは心の奥では「UMAは存在していない」と考える現実主義者。

ただし「もしかしたら居るかも?」と少年の頃の夢を捨てきれない、そんな大人が”それっぽさ”を求めて本気で探検番組を作っていく。

そのメイキングの過程を我々は見せられ、その後に完成された映像も流れるわけですが、撮影の様子はとてもおバカなのに出来上がってくる映像は「ああ!バラエティでこういうのよく見るやつだ!」という”それっぽい”完成度になっているのがまた笑えるわけです。

逆に音声、照明の小宮山隊員は生粋のUMAオタクで、二人とは違った視点で本気で取り組む人。

映画後半ではヤーガを番組スタッフで作っちゃうわけですが、そこで彼のこだわりというか「首はこういう動きをする」とか細かい指示を出したんじゃないかと思います。映画では描かれてませんけどね。

田中要次演じる寡黙なカメラマンは、内容はともかく良い画を撮ることに情熱を燃やします。

撮影角度、明るさなどにこだわりがあり、誰より先に進み前から一行を撮り、今度は後ろに回って進んで行く一行を撮りと一番動いているんじゃないかと思います。

そして紅一点で新人ADの赤田(佐野ひな子)はいわゆる今時の女の子。

仕事だからとおっさん達のバカな撮影にも付き合っていますが、本心では誰よりもおバカなバラエティが好きで彼女もまた、熱い心を持っています。

そして現地ガイドのマゼランはゲリラに襲われたときは裏切ってそちら側に付き、政府軍に襲われたときは裏切って居場所を教えるという「私は常に強き者の味方だ」といったキャラクター。

こう書くと悪い奴みたいですが、実際はお調子者でどこか憎めない人です。

一行は三首の蛇神『ヤーガ』を求めてベラン共和国という架空の国へ調査に向かいます。

「ここにゴミを捨てるな!」と怒っているおじさんに「ヤーガはとても恐ろしい!決して近付いてはならんぞ!」と番組の都合の良いようなアテレコを入れたり、占い師のマゼランの祖母に適当にそれっぽい神話を語らせたりして撮影は順調に進んでいきます。

「三つの守り神が守ってるって設定良くね?」「ヤギを生贄に捧げよう」と勝手な設定も固まり、遂にヤーガの住むとされる洞窟に辿り着く一行。

しかしそこは反政府軍のゲリラの拠点だったのです。

政府軍のスパイだと疑われる一行は撮った映像を見せてスパイではないと証明しようとします。

結果的に疑いは晴れて、一行は解放されます。

しかしテープは念の為に破壊するとのこと。

「お前達の映像は下らない、バカバカしい、意味が無いものだ。意味が無いものなら破壊しても問題は無いだろう?」という問いかけに対する杉崎の答えが、この映画の一番のキモなんじゃないかなと私は思いました。


意味って何?お前達のやってることに意味はあるのか?

迷彩服着て銃持ってそれっぽいことするのが本当に何かの役に立つのか?


以下、長々と一人演説は続きますがここでは割愛します。

結局、意味があるかどうかの判断っていうのは主観的なものであって、他者から見てそこに意味を見出す必要は無いんじゃないかと思います。

例えばコレクターと呼ばれる人達、周りからは下らない、ゴミばかり集めてると言われることが多いですが、やってる本人は至って真面目でありそこに意味は存在します。

これは行為者の主観的な意味。

また、トリビアの種ほこ×たて(やらせ問題などもありましたが)も、下らないことを大の大人が真面目に取り組むから面白いわけじゃないですか。

最近の日本人って結論ありきで物事を考えすぎというか、最初から終着点を見据えてそこに向けたレールの上を歩いていきますよね。

物語冒頭の杉崎もそうですが、それが一番”無難”であり”楽”なのかもしれません。

ただ意味も無く行き当たりばったりでぶらぶらと進んで行くのが本来の”探検”なんじゃないでしょうか?

誰も知らない未開の地に地図は無いわけですから。

そんな大人達が本気で取り組んだ結果、嘘の設定だったはずの蛇神ヤーガが現実に……?

本当にそれだ、と描写せずに「本物のヤーガかも?」くらいで終わらせたのも、物語自体の「それっぽさ」としてちょうどいいと思いました。


この映画はいかにしてバラエティのそれっぽさが作り上げられていくかというメタ的作品だと冒頭に言いましたが、実はこの映画自体もそれっぽさで出来ているわけですね。

だって東南アジアのジャングルって言ってるのにロケ地は千葉県とか茨城で、よく見るとススキとか普通に日本の植物で溢れかえってますから。

外国人っぽい人達も日本人が演じていたり(中にはハーフもいらっしゃいますが)、映画内の撮影スタッフを撮影する本物のスタッフが見えないところに居て、映画内のように「それっぽさ」を作り上げているんだなと想像して楽しむ映画なのかなと思いました。

私の中ではかなり面白い作品でした!